Meisterの歴史

2023-10-15
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Meister(ドイツの産業発展に大きな役割を果たしてきたとされる職人の資格制度での技能有資格者)という, その名に恥じない結果を残せるように, メンバー一同努力していきたいと思います。


1992年

Meister設立。鳥人間コンテストへの参加を目標とする。


1993年

滑空機「Trystar」を設計するが, 書類審査で落選となる。


1994年

滑空機「SUPER POSITION」を製作し, 第18回鳥人間コンテスト 滑空機部門に初出場。記録: 28m。


1995年

滑空機「KARDINAL」を制作し, 第19回鳥人間コンテスト 滑空機部門に出場。 サークル発足わずか3年で堂々の準優勝に輝く。 当時の滑空機部門歴代3位の記録である292.05mの飛行をする。 この結果を得て滑空機部門を改め人力飛行機部門を, そして新たにソーラーカー部門を設立する


1996年

人力飛行機部門

「Corneille」を製作するも, 書類審査で落選。 独自の飛行距離測定では400mの飛行をする。

ソーラーカー部門

「SkyBeans」を製作し, 秋田・鈴鹿で行われた大会に出場。残念な結果に終わる。


1997年

人力飛行機部門

「Cygnus」製作。 第21回鳥人間コンテスト 人力プロペラ機部門の書類審査には通過するものの, 大会当日に台風の直撃を受け, 大会自体が全面中止となる。

ソーラーカー部門

「Leiden-schaft」を前年度の車体から改修し製作する。 秋田・鈴鹿の両大会を経て, 確実な進歩を見せる。


1998年

人力飛行機部門

「Cathartes」で第22回鳥人間コンテストに出場を果たす。 記録: 20m。 人力プロペラ機部門では, ヤマハ・Team Aeroscepcyが大会史上初の対岸到達を達成する。

ソーラーカー部門

「Leiden-schaft'98」をこれまでの車体の更なる改修にて製作。 秋田大会5位, 国内大学学部生中1位という快挙を果たす。 この結果により日本代表として, 米国で開催されるSun-Rayceへの出場権を獲得する。


1999年

人力飛行機部門

「KARURA」で第23回鳥人間コンテストに出場。 パイロットとして荻原次晴氏が乗り込む。 記録: 44.08m。

ソーラーカー部門

「Leiden-schaft'99」を携えて, Sun-Rayce出場のために米国に出発する。 しかし, 大会当局側の不手際により車体が空港に足止めされる。 結局十分な準備もできず, 大会に参加できなかった。

小型電気自動車

「Dark Horse」を製作。 大会10位の成績を残す。


2000年

人力飛行機部門

「Whirl Wind」で第24回鳥人間コンテストに出場。 前年度に引き続き, パイロットは荻原次晴氏。 飛行途中で主翼桁が崩壊するも, マイスター初の定常飛行に持ち込む。 記録: 380.54m(第4位)。

ソーラーカー部門

「飛廉」を製作するも, 前年度までの技術継承が十分になされておらず, 秋田・鈴鹿の両大会では不本意な結果に終わる。


2001年

人力飛行機部門

「Holsety」を製作。 第25回鳥人間コンテストに出場し, パイロットの限界まで飛び続け, 悲願の初優勝を遂げる。 記録: 3823.70m。

ソーラーカー部門

「悪来」製作。 秋田・鈴鹿の両大会に出場するも, レース中のトラブルにより不本意な結果に終わる。


2002年

人力飛行機部門

「なまら」を製作。 第26回鳥人間コンテストにて昨年に引き続き連続優勝の快挙を果たす。 記録: 6201.74m。

ソーラーカー部門

「Silver Fluke」製作。 鈴鹿大会に出場し, クラス8位の成績を残す。

人力飛行機部門は大会史上初の3連覇を目指す。 そして, ソーラーカー部門の幕を下ろし, 新たにエコノムーブ部門を興す。


2003年

人力飛行機部門

「Promontoire」を製作し3連覇を目指す。 気候に恵まれ, 史上稀に見る好記録続出となった第27回鳥人間コンテストでは, 34kmを飛び飛行可能距離限界の琵琶湖大橋まで到達した日本大学に引き続き, 琵琶湖大橋まであと2kmの32177.99mを飛び準優勝を果たす。

エコノムーブ部門

「Sleipnir」を製作し, 筑波, 菅生などの各大会に出場する。 最高成績は菅生大会の10位。

ソーラーカー部門

「Silver Fluke」をOBが改修し, 鈴鹿大会に出場。


2004年

人力飛行機部門

「Halcyon」で第28回鳥人間コンテストに出場するも, 台風による悪天候のせいで残念な結果に終わる。 参考記録: 218m。 Halcyonはその後タイ王国での展示を経て, カセサート大学に寄贈され, 第二の人生を歩んでいる。

エコノムーブ部門

「lucciola」を製作。 白浜大会9位, 幸田大会4位と, 確実な進歩を見せる。


2005年

人力飛行機部門

「てぃだ」で第29回鳥人間コンテストに出場。 12444.64m飛び日本大学, CoolThurustに引き続き3位となる。

エコノムーブ部門

「Leitbild」を製作。 ‘07年、‘08年とタイ大会にて4位入賞。


2006年

人力飛行機部門

「Werk」で第30回鳥人間コンテストに出場。 飛行禁止区域を飛行したため失格になる。

エコノムーブ部門

「Trilobit」を製作。 ‘06年度の幸田大会で予選のベストラップ賞を受賞。

オキシライド

「オキシフライヤー」を製作。 人類初の乾電池による有人飛行を達成する。 記録: 391.4m(59秒; 最高高度 6.11m)


2007年

人力飛行機部門

「翼 飛造」で第31回鳥人間コンテストに出場。 3998.51m飛び優勝する。

エコノムーブ部門

「Trans Panda」を製作。


2008年

人力飛行機部門

「Horizon」で第32回鳥人間コンテストに出場。 1555.06mを飛行する。

エコノムーブ部門

「DAW」を製作。 ‘08年、神戸大会にて見事3位に輝く。


2009年

人力飛行機部門

「Concordia」で東工大130周年記念事業の一環として琵琶湖で飛行会を行う。 飛行時間17分、直線飛行距離約4500mを飛行する。

エコノムーブ部門

「Opera」を製作。総合成績20位。


2010年

人力飛行機部門

「つばめ2010」で第33回鳥人間コンテストに出場。 18556mを飛び優勝する。

エコノムーブ部門

「lightning」を製作。 全輪操舵に挑戦した。


2011年

人力飛行機部門

「凛」で第34回鳥人間コンテストに出場。 8182mを飛び準優勝する。

エコノムーブ部門

「Gungnir」を製作。 WEMGP最終戦NATS大会にて41周し28チーム中12位となる。


2012年

人力飛行機部門

「Plume」で第35回鳥人間コンテストに出場。 直線飛行距離約587mを飛行する。

エコノムーブ部門

「Lumos」を製作。 車体トラブルが相次ぎ,WEMGP最終戦NATS大会では27周し32チーム中20位となる。


2013年

人力飛行機部門

「翔」で第36回鳥人間コンテストに出場。 直線飛行距離20399.24mを飛行し優勝する。

エコノムーブ部門

「STRADA」を製作。 WEMGP最終戦NATS大会では42周して25チーム中14位となる。


2014年

人力飛行機部門

「宙」で第37回鳥人間コンテストに出場。 しかし、悪天候により競技不成立。

エコノムーブ部門

「Daidalos」、「Torilobit」を製作。 WEMGP最終戦NATS大会では15チーム中それぞれ41周して10位、34周して11位となる。


2015年

人力飛行機部門

「鳰」で第38回鳥人間コンテストに出場。 直線飛行距離3971mを飛行する。

エコノムーブ部門

「SURUMEIKA」を製作。 WEM最終戦NATSでは42周して23チーム中12位となる。


2016年

人力飛行機部門

「遥」を製作。 第39回鳥人間コンテストに落選し、記録飛行に挑戦することも天候不順によりテストフライトが十分にできず断念。 最後に記念飛行でホンダエアポートを飛び切る。

エコノムーブ部門

「Cassiopeia」を製作。 WEMGP第2戦菅生では36チーム中9位となり、大学生部門で1位となる。


2017年

人力飛行機部門

「Gloria」で第40回鳥人間コンテストに出場。 直線飛行距離16,801mで5位となる。

エコノムーブ部門

「Aria」を制作。 WEM 関西大会では少数チームの中ではあるが3位となり、総合成績6位となる。


2018年

エコノムーブ部門

WEM NATS大会で23チーム中10位となる。


2019年

人力飛行機部門

「唯」で第42回鳥人間コンテストに出場。 直線飛行距離2,225mを飛行する。


2022年

人力飛行機部門

「Kreisen」で第44回鳥人間コンテストに出場。直線距離53mを飛行する。


2023年

人力飛行機部門

「Revival」で第45回鳥人間コンテストに出場。飛行距離3,851.83 mで13チーム中4位となる。 また、SUPPORTER賞を受賞する。


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