夜見てる人はこんばんわ
引退してからはこの暑い中涼しいオフィスでバイトし始めた元設計です
えー、私の設計日記のたぶん最後の更新です
この一年を振り返って、一年前設計主任になってまず思ったことはアクセスランキング上位に自分の日記を入れるぞ、ということでした
嘘です
半分ほんとです
だけど日記を書いているときは常にアクセスランキングを意識していました
これはほんとです
なので真面目な内容も不真面目な内容もがんばって書きました
そして設計になってから一年たって鳥人間コンテストがありました
それまでのことは今までの日記にあるのでとりあえず省略
コンテスト中のセットアップとかは去年熱中症になってたこともありスタータと同じくらいゆとらせていただきました
ほんと申し訳なかったです
だけどそのおかげで熱中症に陥る事もなく無事に生で「あげろ」を聞くことができました
というか実際「あげろ」聞いてる間ずっと左手のGPSと右手のトランシーバを交互に相手にしてたのであんま覚えてないw
荻「あげろあげろー」
設「先輩まだ右です右切ってください」
荻「あげろあげろー」
パ「了解」
設「もうちょっと右ですまだ流されてます」
荻「あげろあげろー」
パ「どうしてこうなったー」
こんな感じ?
湖岸側に終始流されつづけて僕は右です右しか指示だしてなかった
あと多景島と機体の位置関係を僕がちゃんと掴めてなかった時に多景島真横じゃんってパイロットに教えてもらって死にたくなりましたw
飛び出しの直後は強い向かい風で機体が尋常じゃなく高い位置まで上昇してこれなはんとかなるとか思って調子乗ってたらひたすら風に押されて思ったより湖岸に近づいてそっからひたすら右右言ってる感じだったかな
ひたすらどう指示すれば長く飛ぶかしか考えてなかった
もっと湖の真ん中に出てから進路変えるべきだったかもしれない
そんな僕の指示ミスによりかなりの横風の中飛ぶことになりました
なんとも情けない水先案内人だったなぁとorz
でも今思うとあんな状態でも流され切らずに飛べたのはパイロットの上手さと機体の機動性があったからかなと思います(ドヤッ
次は設計っぽい話を
他の日記にもあるように直前にパイロット変更というワロえないイベントがありました。去年のパイロットだった先輩がやってくれることがすぐに決まりとんでもなく有り難かったのですが、失礼ですが当然十分なトレーニングをしてある状態とは言えません。そのため少し機速を落として必要ワット数を減らす事にしました
具体的には、パイロットと相談してこれくらいの出力ならいけるっみたいな値まで下げました
そのためには翼面積を大きくするか迎角を増やさなければなりません
翼面積を増やすのは翼を作り直すことで、あまりにも現実的ではなかったため(一応出来なくはないと翼班は言ってくれましたが)迎角を増やしました
ただこれによりFRP班が準備してた本番用の迎角調整器を使えなくしたのは秘密です
またパイロットの体重変化も急だったため体重の予測が難しいので、本番その場で測らなくても重心あわせられるようにパイロット抜きの機体のみの重心測定もおこないました
やってそうでうちではあまりやられない事です
これによりパイロットも含めた時の重量重心位置と比較することでパイロットの重心位置がわかり、本番もパイロットの体重に柔軟に対応できます
こんな感じで本番は琵琶湖で重心測定せずに翼桁の位置と迎角を設定できました
前日のホテルでパソコン開いてタカタカしてたのは秘密です
最後に挨拶を
あーだこーだ言いながらもうまくやってくれた09の仲間達、マジメに言うこと聞いてくれた後輩達、色々ご指導ご指摘して頂いた先輩方、自分勝手な私達に良くしてくださったものつくりセンターの方々や大学関係者様、企業の方々
そして私達の機体を、努力を、成果を、大空へ飛ばしてくれた二人の先輩パイロット
一年間お世話になりました
私の、私達の夢を形にしてとばすことができた、そんな一年間だったと思います
本当に楽しかった
東京工業大学Meister 2011年度全体設計 古村
見えてた人いらっしゃったらすみませんorz
でも若本はいいと思います
えー
最後の更新が3月...
そして現在6月中旬
実に3か月ぶりの更新となりましたが
多分3か月分書くので非常に長く読みずらい日記になると思いますが
この間に何があったかというと
まず桁試験ですね
正確には前回の更新のちょっと前ですが
桁試験は今だから言えますけどあんまりうまくはいきませんでした(^_^;)
桁に重りをつるしていって飛行時の負荷に対して1倍の時はとりあえず問題ありませんでした
次に1.25倍の負荷をかけるべくおもりを追加していったのですが...
最後の1つか2つくらいのところで吊るしていた桁がクルっと90度くらい回転しました(゜o゜)
僕の短い人生の中でも1、2を争う冷や汗でしたねw
桁が90度回転するとフランジがなくなる分桁は柔らかくなります
それによりおもりは地面について破壊は免れました
その後桁試験をもう一度やり直すかどうかについて熱い議論がありましたが、
あんな回転した衝撃に耐えたんだから大丈夫じゃね?という意見が多く再試験は見送りました
そして再試験の予定日だった日に震災があったのは不幸中の幸い...
次にあった大きな出来事は、やっぱりGSU×5ですねw
もういろんな日記に書かれているので詳しくは書きませんが
壮大にいろんな人に迷惑をおかけしましたorz
その後何とかTFを行い現在に至ります
TFについては...
TF1回目2回目はまあ置いといて
個人的につらかったのがTF3回目終わった後ですね
これもいくつかの日記に書かれていますが、僕の主観を述べます
このTF終わってから、浮きはするが頭下げが強くなかなか飛べねぇっ
なんて感じになってましたが、これの原因をその後次のTFまでマジメに考えていました
最初はピッチ方向のモーメントがあまりにも釣り合ってないために頭が落ちるとか、エレベータが正常に動いてないとか、我ながらわけのわからんところを探っていましたが、何をどう計算しても、写真や動画を見ても、そんな感じではありません
いろいろ考えたり、何人かの部員の意見も聞いたり計器のログみたりして、たどり着いたのが、
「離陸時の速度が足りないため、エレベータを切って浮いてもすぐ落ちる」
となりました。
速度足りないとかww
なぜこんな簡単な結論に気付かないんだしっかりしろ設計ww
しかもこれ何人かに言われたけどTF直後は多分違うって私自身否定してたっていうww
みたいな飛ぶ前から気づいてもいいようなミスに気づいてから
とりあえずの解決策としてもっと速く走れば大丈夫なんて雑な指示を投げて挑んだ4回目
後ろから見ていてもはっきりわかるくらい前回よりも離陸までの加速が早いです
最初のジャンプでいきなり何十mか飛んだww
いきなりたくさん走ってもらったクルーには申し訳ないけど個人的にはめちゃめちゃ楽しかったw
これでやっとまともなTFが行えるようになりました
さて飛行中の機体を見てるとヨーにしろピッチにしろロールにしろすごくビクンビクン動いているように見えます
いつぞやの日記で過去の機体のロールやヨーの解析をしたのを載せましたが、今年の機体はあれよりももっと動きやすくなるように尾翼容積比などのパラメータを設定しました
主翼の慣性モーメント自体パラメータの詳しくわかっている過去の機体のいくつかよりも1~2割程度(機体によってはそれ以上)減っているはずです
このことについてはだいぶ前なんで詳しいことは忘れましたが、とりあえずそれが表れているのかな~と
パイロットからも
ガ〇ダムが僕の反応速度に追いついてないんだ
とかじゃなくて動きやすくて楽しいと言っていただけました
ビクンビクン動きすぎて微調整がきかなそうとか、思わずラダーがききすぎてスパイラルに陥ったりしないだろうなとかが心配です
僕も飛行中に指示が出せればいいんですがどうも僕の反応速度は機体やパイロットの反応速度に追いつけず、指示出す前に指示通り機体が動いていますorz
マグ〇ットコー〇ィングされたガン〇ムをホワイ〇ベー〇から眺めている気分です
このマ〇ネット〇ーティングですが、反面翼幅および翼面積が小さくなり、機速は僕の知る限り歴代最高速と同じくらいの設計機速です
これがTF3回目の事態の原因につながったんでしょうがorz
この値を決めた時からグランドクルーやTFのしやすさなんて考えてませんでしたが、実際追い風の時に離陸できないなんてことがあったので反省しています
]]>MeisterOnlineから新入生歓迎に関するページへのリンクがなかったのでこちらに貼っておきます
http://www.meister.ne.jp/welcome2011/index.php
ぜひ私達のサークルに興味のある方はご覧になってください
インカレ可能なので他大の方でも全然大丈夫です
以下最近の活動について
だいぶ時間が経ちましたが、倉庫の改修工事が終了し2月末からMeisterは新しい設備の中活動再開です
集塵機やカーテンなど夢に満ちた設備がいっぱいになり、また大倉庫内がかなりすっきりして広い作業場となりました
次に桁試験を今年も行いました
不測の事態に陥り、非常に桁にとって危ない状況になりかけましたが結果的に今年の桁が予想以上の衝撃に耐えうるということの証明となりました(^_^;)
これについてはまた別の機会に詳しく報告したいと思います
最後に東北地方太平洋沖地震についてです
地震が起こったとき私たちも作業中でした
全員作業場から退避して電気が復旧してからもどりましたが、奇跡的に機体に損傷はなく、倒れたものといえば本棚の上のドアラだけですみました
またこちらも奇跡的に今のところ部員も全員無事で東北地方出身者たちの実家も大丈夫だったようです
]]>