DDプロジェクト作業報告
DDプロジェクト過去ログ
最終回
ずいぶんと間があきましたが、DDプロジェクト報告最終回の始まり始まり〜。ちなみに今回は多少まじめです。しかも、なんか日記みたいになってますがあしからずw
進角コントローラは前回の報告の後、割り込みを使ったPICのプログラムがうまくないらしいことが分かりました。しばらくあがいてみましたが、どうにもならない。仕方なく、割り込みを用いないプログラムを練り直し、試してみると…。動いた!!ロータリースイッチをひねると回転数が変わる変わる!楽しくなっちゃって、やはり無駄に何度も遊んでました。でも、これで割り込みとは全戦全敗です(T_T)。
さて、一通りコントローラの開発が終わったところでいよいよ、巻線です。
これまでコントローラ試験につき合ってくれた、もらったまんまの巻線をほどきます。あぁ、ほどくのは一瞬なのに巻くのは大変なんだろうなぁ…。
ほどき終わったら、まず、コアの厚さをちょっと増します。頂いたコアは二つ、かたっぽの珪素鋼板を適当な厚さだけはがし、もう一方のコアに付け足します。合計の厚さは35mm。理由はあるような無いような…。ぶっちゃけ適当だったりします。ただ、コア厚が厚いと、そのぶん磁石も大きくでき、磁束を増やせるために巻き数を減らすことが出来、結果、太い線を巻けるために銅損が減らせます。なのでちょっと厚みを増したわけです。
そして、地獄の巻き線開始!Φ0.55mmのPEWを巻いていきます。リールを足に挟み、手でコアを引っ張ってテンションを掛けながら、ぴっちり巻いていきます。これが疲れる疲れる。一体一スロット何時間掛けてるやら(^^;)ヘコみそうなので、計ったことはありません。一日せいぜい3スロットが限界ですね。手がイカレてしまいます。
実は、この時点でかなり秋田大会が近づいていました。ここで致命的なミス!!磁石の発注をしていない!!あぁ、もう絶対間に合わないよ〜(T_T)。ダメ元でメーカに行ってみたもののやはり厳しい…。そして、車体すら間に合うか微妙な状態でハウジングの制作は始まってもいない…。
これが、秋田でDDを使えなかった真相です。あぁ、なんて情けない理由だろう。
そして、あと3スロットまで迫った巻線もひとまず中断し、秋田大会用のその他のパーツを作ったのでした…。
時は大きく飛んで、鳥コン後になります。今年はHPAも天候に恵まれずに、まさかの結果…。一生懸命作り、万全の体制で臨み、あんなにきれいな機体を作ったのに報われない。その悔しさは想像を絶するものだと思います。
そのとき自分を振り返ってみれば…。一生懸命やったといえるのか?答えは「否」でした。もちろんこれは自分自身がということで、ほかのメンバーがどうこうという話ではないです。もう、自分が情けなくって仕方なかった。そして、これから始まる、菅生・豊田では決して悔いの残らないよう頑張ろうと決めました。
ところが…。菅生では一周も出来ないと言う結果に。いろいろトラブルがあったとはいえ、かつて無いぐらいに頑張った分、悔しさもすごかったです。悔し涙も流しました。
話が相当ずれましたが、そうした流れが有っての豊田大会だったんです。ましてや、豊田は秋田で出来なかったDDの初舞台として決めていた大会。絶対に完成させてやると心に決めました。
DDは回路を作ってる私の力だけでは完成しません。ハウジングを造ってくれる車班の人、その他の電気仕事を全部押しつけてしまった、エレキの人、雑用を早速押しつけてしまった一年生、全ての力がどれ一つとして欠かせません。そんななか私が出来るのは、回路と巻線を完璧なものにすること。もう自分だけの夢ではありません。プレッシャーも相当なものになってきました。
菅生が終わって3〜4日ほどで巻線は終了。本番用の回路の半田付けもそれからすぐに完成しました。汎用性も考え、メンテナンスしやすいように、コネクターも整理して、ばらしやすく、またチェック用の回路にもつなげるよう考えて万全を期したはずでした。
あとは、ハウジングの完成を待つばかり。車班の人は朝から晩まで工場にこもりっきりで造ってくれています。もう後戻りは出来ません。そしてついに出発直前になって、ハウジング完成!磁石を貼りますが、ちょっとしたトラブルで、一個がまっぷたつに割れてしまいました。しかし、回転に支障はないと考えそのまま放置(爆)はっつけました(H君、本当に君のせいじゃないから、気にしないで)。さあ、もう出発しないと間に合いません。テストは結局出来ずに、旅立ちました。
何とか車検に間に合わせ、予選開始までの間にテストの準備をします。コアをハウジングに入れ(磁石の吸引力のおかげで大変でした)、ホールセンサをサイドパネルに付け、まずチェック用基板につないで、FET駆動信号が順序よく出てることを確認して、いよいよコイルに配線します。電流計を見ながら、ゆっくりPWMをあけていくと…。やはり動かない、センサを動かしてみますが、時たま思い出したように、ガクッと震えるだけで、回ってくれません。が、そのうち、何とか逆方向には回ってくれました。無負荷電流も多くしかも逆方向…。何とか正方向にちゃんと回そうと焦っていました。センサを動かしながら試行錯誤しているうちに、ふと電流計を見ると44A?しまった、ボリュームを開けすぎた!!もう後の祭りです、V相のFETからは一筋の煙が…。すぐにブレーカを落としますが、焼けたという現実は消えません。幸いコイルからは焦げ臭いにおいはしていませんが、FETを付け替えるには予選までの時間はありません。頭のなかは真っ白です。「どうしたの?」メンバーの不安そうな問いかけ…。「特電に積み替えて。修理は間に合いそうにない。」
結局予選には積まない決断を下しました。なんて事だ。またつまらないミスを…。絶対決勝までには直してやる!!と決心し、特電バージョンとなったルシオラの走りを見守りますが、体が持ちません。エレキ主任の休んでくれば?の言葉に甘え、車で爆睡。気づくと、大雨の中、撤収作業も大詰めの様子。どうやら、かなりの成績を残したようです。びしょぬれで片づけていた、メンバーの皆さん、ごめんなさい。
宿に戻ったものの体調はかなり最悪。申し訳ないと思いつつもしばし倒れ込みました。そして、しばらくして飛び起き、焼けた部品を付け替えます。すると、設計の林原がホールセンサのマウントを造り替えて、持ってきてくれました。ありがたい。直った回路を持って、ガレージに行くと、回路の箱を作り続ける一年生と、マウントをさらに改良し終えた林原。あとは自分の回路が動くだけだ。朝方、怖じ気づいた私はまず定格の半分の12Vでおそるおそる、ブレーカを投入すると、いきなり回り出しました。まだ位置あわせもしてないのに、どうやらちょうど良い位置に着いていた様子。あまりのあっけなさに拍子抜けしましたが、メンバーの拍手にちょっとほっとしました。でも、ボリュームもひねってないよなぁ?そうPWM回路がここに来てご機嫌斜め。どうやらICソケットの接触が怪しいみたいですが、詳しくは分からず。とにかくスタジアムに戻ります。
DDを車体からいったん外し、タイヤをつけて戻し、いよいよ24V試験です。ホールセンサの位置出しは終わってる。回れ!!しかしボリュームをひねっていくと、ガタガタと言う異音。あわててブレーカを落とし、FETにさわると…。まただ。加熱しているヤツがあります。テスターで調べると、やはり破壊している…。
直すしかない!!そう思い早速作業を使用にもジェネレータが動かないらしい!しかもコテライザー(ガス式ハンダゴテ)が見つからない!どうしよう。すると代表からありがたい情報、電力を分けてくれるチームが居るらしい。必要な道具を抱えて行くと、T-Worksというチームの人が、ジェネの電力を分けてくれた、お礼もそこそこに早速作り直す。電圧を上げたことでサージ電圧(FETをオフしたときに高いノイズ電圧が出る)も上がり壊れた可能性もあったため、サージ吸収回路を付け足し、焼けたところを外す。このときの作業スピードはおそらく自分の最速だったと思う。そして作業が終わると車体にすぐに付けなおし、再度試験。
なんでだよ!!心の中で叫びます。実際に口にしたかも知れません。またしても異音、おなじFETがまた破壊しています。ひょっとしたら、信号がおかしいのかも。信号を送り出すIC(フォトカプラ)を交換し、やっと見つかったコテライザーでFETをまたまた交換して、ブレーカを…上げられない!もうすっかり臆病になっていました。怖くて仕方なかった。応援に来てくれたHPAの人から「がんばれ!」の声。覚悟を決め、ブレーカを上げ、ボリュームをひねります。時間的にもう最後のチャンスでした。
「キーン…グワ〜ン!」回った!!やった!!PWMはいかれたままですが、もうどうしようもない。接触が怪しいところはガム手でテンションを掛けるぐらいしか思いつかなかった。代表から「行けそうなの?」という電話、ちょっととまどいながらも半泣きの状態で「行けそう」と返します。もう来るところまで来てしまいました。
正規のスタートには間に合わないのでピットスタートです。ドライバーにやばい音がしたらすぐにブレーカを落とすように言い、また、ブレーカを入れると突然スタートするかも知れないと伝えます。ピットロードで最後のセットアップ中に「ブレーカ、落とした」の声、やはりPWMはいかれました。もういきなり電圧を与えてスタートするしか有りません。ひょっとしたら、ショックで壊れるかも知れない。でもどうしようもありませんでした。レース開始から、すでに30分。菅生の二の舞だけは避けなければならない。応援メンバーも勢揃いしている。極度のプレッシャーです。全てが肩に乗っかってるかのように思いました。もちろん自分だけが頑張ったのではないことは分かっては居たのですが、これで走れなかったら絶対俺のせいだと思っていました。でも行くしかない!!
そして、運命のブレーカオン!!ルシオラは鋭い加速でピットロードを飛び出していきます。「戻ってこいよ!!」そう叫ぶ自分の声は完全に涙声です。
もう涙が止まりません。豊田の一周は760mほど、一分もすれば戻ってきます。この時間の長いこと長いこと。そして、スタジアムの陰から、鼻先に黄色いMeisterマークをつけたルシオラの姿、でも涙でかすんでます。音もなく、滑るようにピット前を通過していきます。
「動いた!!」思わず叫びました。ちらほらとおめでとうの声も聞こえます。もうあとは、泣きっぱなし出した。どうせ我慢できないだろうと、恥も忘れて、泣きながら周回を重ねるルシオラを見つめます。
5周ぐらいしたでしょうか、ペースダウンしたらしい。原因は何となく分かりました。そして9周すると…。ルシオラは帰ってこなくなりました。どうやら止まったようです。その場所へ走ると、止まったルシオラが居ます。カウルを開け、ドライバーの話を聞くと、やはり1相分壊れたときの異音がしたそうです。コントローラが焦げ臭くなってきたので停車したとか。やっぱりダメだったか…。モータのコイルもさわれないほど熱いらしいです。ピットまではきっと持たないし、部品ももう無い。リタイアです。
ホントに、個人的趣味で始めたDDプロジェクトはこうして幕を閉じました。最後は止まってしまったけど、はじめの5周、紛れもなくDDモータは、ドライバーを乗せ、バッテリーの電気をしっかりと運動エネルギーに替えて突っ走ってました。それが、嬉しくて嬉しくて。悔しさもありますが、あの涙はうれし涙です。嬉し泣きをしたのは初めてでした。なかなかいいもんですね。
HPAの人が言っていた、悔しいけれども満足。少しでも美しく飛ぶハルシオンが見られて良かった。という言葉が、なんかすんなり理解できた気がしました。たぶんあのときの気持ちと同じだったのでしょう(勝手にそう思ってるだけです)。
最後に、壮大な趣味につき合ってくれたメンバーのみんな、本当にありがとう。