Econo Move Project
Meister Econo Move Project Human Powered Airplain
Aboutエコノムーブに関する説明です。 Part車体製作を分担する各班の説明です。 Reportテストランや試験の報告です。 Index総合目次です。 Bookmarkリンク集です。 Glossary用語集です。 BBS掲示板です。
INDEX
大会概要
成績
参加目的
製作から出発
予選
大会後
大会を振り返って 幸田大会
ドライバー羽賀編
代表飯塚編
白浜大会
白浜大会報告
豊田大会
豊田大会報告
ハウジング製作記
電気班報告
DDプロジェクト
菅生大会
菅生大会報告
菅生大会モータ報告
秋田大会
秋田大会報告

白浜大会報告

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2004年度Meisterエコノムーブ部門代表の飯塚です。
私事で大変遅れましたが、2004WEMGP第五戦、白浜大会の報告をしたいと思います。

大会概要

今や、エコラン界の強豪高校である和歌山県紀北工業高校は、1985年から省エネカーの制作に取り組み、1991年には全国3位という成績をあげました。 それをきっかけにロボット相撲大会(本年全国大会1位)、ラジコンソーラーカーコンテスト(3回の全国優勝)と活躍しました。1996年からは和歌山工業高校や、和歌山高校が各大会に参加し始め、1998年には和歌山工業高校がラジコンソーラーカーコンテストで優勝するなどより一層の盛り上がりを見せました。 しかし、意外にもこの活動状況は和歌山県内ではあまり知られておらず、学校関係者ばかりでなく、もっと一般の人々に広く知ってもらえないものかという動きが強まりました。 そこで、その広報活動を和歌山県教育研究会工業部会が担うことが最適であるということになりました。そうして、まず初めは練習会を通じて工業科の「もの作り」の推奨に力を注いでいる先生方の交流とこれからの工業高校のアピールの方法を見いだせればということでEV練習会が開催されることになりました。(1998年)
その後・・・

1999年
和歌山県で南紀熊野体験博が開催され、白浜町のオープニングイベントとして'99EV ENJOY TRAIL in 白浜を開催。
22車両110名エントリー・オフィシャル80名が参加。
2000年
3月26日 ev enjoy trial 2000 in 白浜 開催。
28車両140名エントリー・オフィシャル60名が参加。
2001年
開催日時を春から秋10月下旬に変更の為、2001年内に2回の開催となる。
3月25日 ev enjoy trial 2001 開催、31車両エントリー160名・オフィシャル70名が参加。
10月27日 5th ev enjoy trial 開催 29車両145名エントリー・オフィシャル40名が参加。
2002年
4月 World Econo Move Grand Prix (ワールド・エコノムーブ・グランプリ)シリーズ戦となる。
10月26〜27日 2002 ワールド エコノムーブ グランプリ 第4戦6th EV ENJOY TRIAL IN 白浜 開催。
38車両190名エントリー・オフィシャル40名が参加。
2003年
10月25〜26日 2003 ワールド エコノムーブ グランプリ 第5戦7th EV ENJOY TRIAL IN 白浜 開催 。

というように、年々、ますますの盛況振りを見せている大会です。

コースを見ていただければ分かるとおり(fig.00)、秋田に非常に良く似たコースになっています。
ただ、秋田ほどのタイトなヘアピンにはなっていません。その代わり、両端が同じようなヘアピンになっており、秋田のような大きなコーナーはありません。よって、やはりここでのターンでいかに速度を落とすことなく曲がり、残りの直線でいかに効率よく走れるかが勝負になります。

秋田大会コース
fig.00 : 秋田大会コース

成績

今大会を終えて、まずお知らせしたいのが結果です。「決勝総合順位第9位」です。もともと、2004年度の目標が表彰台を狙うということなので、手放しで喜ぶわけにも行きませんが、これまでの経緯を考えると、喜ばずにはいられません。苦労してきた甲斐、また8月以降まで活動をつづけて例外的にグランプリにで続けた甲斐があるというものでした。
結果の詳細はこちらをご参照ください。

参戦目的

参戦の主な理由は、2004年度の一つの目標である「グランプリ全戦出場を果たすため」でした。しかし、実際には第一戦の湖東大会には出場できておらず、目標は崩れていますが、それでも残りの大会は全て出ようということで、かねてより白浜大会への出場は決まっていました。
10月までに3戦への出場を果たしました。振り返れば全ての大会において、ギリギリの出走、不甲斐ない結果という目も当てられない状況でした。加えて、各大会前後におけるメンバーの肉体的・精神的負担もかなり高く、例年のことといってしまえばそれまでなのかもしれませんが、11月の最終戦を終えてMeisterを引退していく身として、このままではいけないという思いが強くありました。大会前にどたばたせず、余裕を持って大会に臨み、成績を残す。そんな当たり前な理想を実現すること、後輩たちにそういうことが可能であることを示すこと、これが今大会での何よりの課題でした。
そうして、白浜大会で余裕のある大会遠征が出来ることを確認し、最終戦である幸田大会につなげていくこともまた重要な課題でした。

製作から出発

before after
fig.01 : 駆動輪の固定方法。左が改良前、右が改良後。

車体製作に関しては、豊田大会が終わってから、すぐに問題箇所を改良したので、いつものようなギリギリの作業が発生することはありませんでした。おもな改良点としては、駆動輪の固定方法(fig.01)、車輪のスポークホイール化(fig.02)です。

変更点は写真に写る人物の変更ではありません。 そのほうが劇的な効果を挙げているような気もしますが・・・
fig.02 : スポークホイール化。左が変更前。右が変更後。
白浜の位置
fig.03 : 白浜

駆動輪の固定法はもともとの設計に不備があり、良くないことが秋田大会後から分かっていました。しかし、菅生・豊田と、ともに問題にはならなかったため(大会仕様の固定法が根本的に異なっていたためです)この時期に改良することになりました。具体的には、市販品のマウンテンバイクのハブを流用して、クイックレバーによる迅速かつ確実な締め付けが出来るようにしました。これによって、車体剛性は向上し、何より組み立て時間の大幅な短縮に成功しました。

移動風景
fig.04 : 限界密度での移動

ホイールをディスクホイールからスポークホイールに変えた理由としては、主に2つあります。一つは、私たちの持てる技術ではそうした方が軽くなるということ。もう一つは、リムをより太いものに変えたいためでした。そうすることで、転がり抵抗の低減が期待できたためです。
今大会の会場である白浜は和歌山県の端のほうに位置しており(fig.03)、しかも高速道路がまばらにあるために、非常に時間のかかることが予想されました。会場のゲートオープンが8時、移動に12時間かかると見込んでいたため、夜7時に出発を予定していましたが、私の用事のために8時出発になってしましたした。
1年生が9人新しく入ってくれたので、3年まで含めて15人という、私たちとしては大人数で動くことになったので、移動の足に悩みました。車を増やすとお金がかかるために、何とか2台に収めたかったのです。いつもはもっと人数が少ないので、人を移動させる車とエコノムーブを移動させる車の2台で十分余裕があったのですが、今回は2台とも限界密度での移動でなんとか事なきを得ました(fig.04)。

予選

ルマン式スタート
fig.05 : ルマン式スタート

この順位で、決勝のグリッドナンバーが決まります。そのために、各チーム必死に順位をあげようとします。
白浜大会の特徴として、その独特の予選方式が挙げられます。ルマン式スタートによる、タイムトライヤルなのです(fig.05)。要するに、車体への乗り込みも含めた、総合スピード勝負です。モーターも電池も自由です。決勝と同じ仕様である必要はなく、この予選に特化した調整が可能となります。一見、エコを競うものでも何でもありませんが、自分としては、車には省エネだけではなく、走行性、乗り降りのしやすさも求められるので、車体が極端なものになるのを避ける意味でいい競技だと思います。私たちは、事前にルマン式スタートの練習をしていたこともあって、なかなかの好調な走りを見せました。しかし、他チームは駆動系に予選のためのチューンをしていたりして(エコノムーブ的にはモンスターマシン?)、結果は全体(48台中)で1/3の16位でした。
会場に到着した頃は曇り空だったのが、予選に向けてだんだんと怪しい雲行きとなり、予選が始まる頃にはついに雨が降り出しました。どうやら、今年は当たり年のようです。ゼッケンナンバー48で最後のスタートである私たちに順番が回ってきた頃も雨はやまず、雨対策を施していない車体で予選に臨むことになりました(なんだかんだで事前に雨対策が出来ませんでした。)。コースは直線なので下手にハンドルを切ったりブレーキをしない限り、ヘンなことは起きませんが、かえって来た車体の中は浸水状態でした。

決勝

予選では雨がひどく、予報では決勝でも降る確率が高かったため、夜を徹しての雨対策を施して、決勝へ臨みました。しかし、運良く雨は降らず、結果的に無意味にはなりましたが、これでようやく全天候型の車体になりました。
グリッドは16番。スタートのフラッグで、いっせいに出走します。旧南紀白浜空港は予想以上に悪い路面でした。白浜大会を控えた私たちは最も成績につながっているエコノムーブのパラメータとしてタイヤの空気圧に着目していました。ある程度高い気圧(7気圧以上)で、路面によって最適な気圧があるとかんがえ、練習走行でそれを模索しようと考えていましたが、出来ずにいました。結局は、スリップしてもまずいということで無難に7気圧弱にしました。
ドライバーからの通信を元に、ピットからのアドバイスを受けながらlucciolaは走り続けました。秋田や豊田のときとは違い、やや電池に余裕をもたせての走行を続けました。電気エコランでは電池を少し残すような走り方をすると、電池が丁度なくなると言われています(無難に走るためにはという意味です)。今回、私たちは余裕を残しすぎてしまい、レース終盤になっても、電池の残量に余裕があることが分かり始めました。今回大会で支給される電池は通常使うものよりも性能が劣るといわれているためでした。その結果、ラスト10分でラストスパートをかけたものの、電池をまだ残した状態でのレース終了となってしまいました。
電池を残していても、初めての10位以内の順位を得ることが出来、これは純粋にうれしいものでした。また、今大会が初めての完走となりました。1年間育ててきた車体の成長振り、チームの成長振りを感じることが出来ました。しかもどさくさにまぎれて、私飯塚は、電池が余ったことをいいことに念願のlucciola乗車を果たすことができ、おそらくはこの大会で一番楽しんでいるように思えました(fig.06)。

lucciola乗車
fig06 : lucciola 乗車

大会後

じゃんけんポン大会
fig.07 : じゃんけんポン大会

大会を盛り上げるイベントとして この白浜大会では「じゃんけんポン大会」と「全チーム集合での写真撮影」等があります。
なぜか初参加のMeisterからじゃんけんポン大会で前に出てみなさんとじゃんけんする役の一人をだすことになり、代表である私が参加いてきました(fig.07)。賞品はなぜかミツバがらみのものが多かったです(ミツバ:電気エコラン界に高性能モータを供給する傍ら、自らもWEMに参戦してる強豪チーム。)。そして、この大会では恒例の写真撮影(fig.08)。

写真撮影
fig.08 : 写真撮影

大会を振り返って

今大会において、私たちが果たしたかった、「余裕のある大会運び」はアルテイドは実現できたと思います。しかし、雨対策のために一部のメンバーが睡眠不足になったりしたことはこれまでとは変わらなく、その点で反省が残りました。それでも、そのほかの点においてはこれまでとは違って余裕があったので、終始メンバーからは「ありえない」という言葉が漏れていました。代表としてはうれしくも悲しくもありました。
ようやく成績も上がり始めました。そして、次の大会が最終戦になります。2004最大の目標である表彰台を目指して、この大会をつなげることが出来れば、引退してから「白浜は良かった」と心から言えるようになると思います。幸田もがんばります。
最後になりましたが、応援してくださった皆様、ありがとうございました。今後とも応援よろしくお願いします。

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